その次の世界へ 魂の旅

魂の探求、霊性を高めること、スピリチュアル全般について綴っています。

重っ!オーラに貼り付くエネルギー

aura-energy-spiritual-psychic

種類は大きく分けると3つ

先日セッションにいらっしゃったお客様が「ブログに書いてあった ”オーラにラベルが貼り付く” ってどういう事ですか?」と言っていました。私と同じようにサイキックな感性をお持ちの方で、もしかしたら「ラベルのようなものが貼り付く」という感覚を理解できる方もいらっしゃるかもしれません。サイキックな感性によるエネルギーの捉え方や、その感覚は人によって全く異なるため、同じような感覚の人と出会う方が難しいかもしれません。しかし、このラベルのようなものが貼り付いているという感覚を理解出来る人(日常の中で体験している)に過去1人だけ出会った事があります。その人も「そのラベルに名前が書かれているから誰のエネルギーなのかすぐに分かる」と言っていましたが、私の場合もまさにその通りなのです。私の場合はオーラの上方に、本当にラベルが貼り付いているかのように見えるのですが、そこにエネルギーの送り主の名前が文字で書かれているのが見えたり、或いは上方から声のようなものが何度も繰り返し見えていたりするのです。声なのに「見える」とはどういう事?と思うでしょうが、それは完全な声ではなく、声のようなエネルギーであり、文字として見えない言葉なので、感覚としては「聞こえる」と「見える」の間くらいのものなのです。感覚的なものなので言葉で表すのがとても難しいです。また、エネルギーの送り主の顔が浮かぶ場合もあります。これは、誰かがふと私のことを考えた瞬間に飛んで来るのだと思われます。例えば「(私の)セッションを予約しようかな」とお客様が思っている時や、友人が「(私と)ランチでもしたいなー」と思っている時に飛んでくるエネルギーは瞬時にキャッチしているようです。これら3つの捉え方については10年ほど前から検証し続けてみたのですが、特に3つ目の「その人の顔が浮かぶ」という場合については、あとで本人に確かめてみた結果、ほぼ100%に近いと言ってもいいと思うほど当たっていました。しかし、3つ目のものはとても軽いものなので支障は全くありません。

感情自体が重いエネルギーなのだ

誰かが私に向かってエネルギーを飛ばして来た時に、オーラに名前が書かれたラベルのようなものが貼り付いてしまう時や、名前が聞こえる時と、単にその人の顔が浮かぶという時では、それぞれに飛んで来たエネルギーの重さや密度のようなものが異なっていると感じています。先程書いた3つ目のものと比較して、オーラにラベルが貼り付いてしまうくらいのエネルギーというのは、実は結構重く感じられます。これは相手が誰であれ関係なく、良いものでも悪いものでも、その思いが強いほど、それを受け取る側では重く感じてしまうものなのです。名前が声のような文字のような感じで見えるものよりも、バッチリ名前が書かれているもののほうが重く感じます。実はこれは私に限ったことではないと思います。私はたまたまエネルギーに敏感でそれが見えてしまう体質ですので認識しやすいというだけであり、もしもエネルギーが見えなかったり、例えば鈍感だったとしても、人が誰かを思う時、そのエネルギーはその相手のところへ飛んでいったり、ともすれば相手のオーラに貼り付いてしまっているのだと思います。誰かのことをちょっと考える(思う)というくらいであれば、そのエネルギーも受け手側では薄く軽いものに感じるかもしれません。それが良いものであれば何ていうこともありませんが、悪いものであれば軽くてもちょっと嫌な感じがすることでしょう。誰かのことを考える回数が多くなるほど、そしてその人への感情が強くなるほどにエネルギーの薄い膜は厚みと密度を増して行き、それが良いものでも悪いものでも、たび重なるほどに重さが出て来るのであまり心地良いというものではなくなると思います。感情はエネルギーに質量を増しますので重いのです。(というより、感情自体が重いエネルギーなのです。)例えばそれが恋愛真っ盛りの方々の間であれば、それも恋愛の醍醐味として体感するのもアリだと思いますが、基本的にはやっぱり重く感じるものだと思いますので、その観点からするとどうかな?とは思います。もちろん、恋愛でなくとも友人関係や職場やその他の人間関係においてもこれは当てはまります。しかし、恋愛ほどに相手に対して強い感情が出る場合ですと、エネルギーが見えるとか見えないとか、敏感とか鈍感とか関係なく、比較的多くの人々が相手のエネルギーを無意識に感じ取ったりしているのではないかと思います。相手と自分との思いに温度差を感じたり、相手が何かを言って来たり行動したりしたわけでもないのに、何故か相手を重く感じたり、何となく鬱陶しく感じたりするのはこのような想いのエネルギーの強さや頻度なども原因のひとつだったりするのでしょう。

意識を向けるのも程々に

私の場合は、時々そのようなエネルギーを飛ばして来た人が私について何を思っているのか、他の誰かに何を言っているのか、その内容まで解ってしまうこともあるので、自分にとって嫌な内容ですと困ります。いい加減慣れたとは言え、良い気分であるはずがありません。人々はこうやって無意識に誰かのことを思うことでエネルギーを飛ばしてしまっていて、それ自体はどうしても仕方のないことですが、それが強まるに従って厄介なことになりかねません。今日ここに書いた内容というのは「念」と言えば念ですが、それはごく軽いものであり、例えばそれが、先に述べたようにラベルが貼り付いてしまうほど重いエネルギーだったとしても、一般的にオカルトの領域で言われている念と比較すればまだまだ全然軽いエネルギーなのです。オカルトで言うところの「念」というものは非常に重く苦しいエネルギーで、時に受け手を傷つけます。(しかし、念を飛ばした本人も最終的に傷ついてしまうというオチがあります。)一般的に「相手を想う」ということの対して良い印象があるかもしれませんが、あまり他人に意識を向け過ぎるというのも、実はエネルギーの法則からすればあまり良くなかったりするものなのです。誰かに意識を向けるのもどうぞ程々に・・・。

 

 
今日もたくさんの応援を有難う御座います!
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