その次の世界へ 魂の旅

魂の探求、普段は目に見えない世界のこと、スピリチュアル全般について綴っています。

今度は波動砲を飛ばして来る人が現れた!?

Energy_psychic_attack

波動は外見の美しさや言葉ではごまかせないものなのだ。

どんどん感覚が鋭敏になって行っている今日この頃ですが、この1月のあいだに波動の感じ方が更に細かくなって来ました。私は以前から波動には敏感で、人が発する言葉やオーラから波動を感じていましたが、それでも今よりはザックリとした感覚で「ちょっと重いような感じ」だとか「軽くていい感じ」「柔らかくてふんわりした感じ」という捉え方だったと思います。最近はその人が発している波動がどのような種類のものなのか、というところまで細かく捉えるようになりました。ハッキリ言ってそんなに細かく捉える必要性が私にはあるとは思えないですし、出来る限りそのようなものは察知したくないのですが、人が発する言葉やオーラ、メールなどの文章などからも察知したり、ヒーリングなどで人の身体に触れるとハッキリ分かったりすることがあります。それがどんなに美しく丁寧な言葉や外見だったとしてもです。波動の世界では外側の見栄えなどは全く効力がありません。私が最近、人の波動からハッキリと認識しているものは、例えば「欲の強い波動」だとか「妬みの強い波動」だとか「癒やしの波動」「繊細な波動」「何かを隠そうとしている波動」などなど色々です。ネガティブな波動だからと言って自分に被ることは今のところなかったので良かったのですが、最近は投げつけてくる人を立て続けに目撃しました。両者共にジゴク霊が数体入っている人で、強烈な妬みと欲のエネルギーを発している人でした。(ジゴク霊に入られてしまうということは、その人が心の中にたくさんの妬みや欲を持っているという事なのです。)

全体的なエネルギーのデトックスは内観から

彼らの私への揺るがしといったら半端なく、以前よりもその強度も増しているように感じました。どうやらサイキックな人々が言うには、私は彼らとピントが合う要素が無いらしく、そういう類の存在は近寄ってこられない(中に入れない)ようです。だからこそ、ネガティブなエネルギーを投げつけて揺るがそうとしているようです。いわゆる攻撃・・・まさにサイキック・アタックと呼ばれる類のものです。ところで余談ですが「ピントが合う要素が無い」というのは、エネルギーのデトックスがほぼ終わりに近づいているという事なのだと予測しますが、私としては意識の細かい部分ではまだまだ何か残っていると思っているため、自分の意識に対して(良い意味で)懐疑心を持って観察を続けています。心理学的に言ってもそうですが、心というのは自分自身ですら騙してしまうものなのですよ。本当のエネルギーのデトックスは心や意識から始まり、自分の心の中をよく観て行く作業によって成し得るものなのです。そしてデトックスがなされていくに従ってエネルギーの質が高まり、技を使いこなしていけるようになるのですが、心の中にほんの少しでも欲や執着、嫉妬、こだわりなどのエネルギーがあると真逆の方向へ向かうこともあるようです。欲や嫉妬のエネルギーが心の隅に残留していたことによって一旦は力をつけた人でも、急激にエネルギーダウンを起こしてしまっている人もいるくらいです。これらのことを考えると、今私が行っている事は本当に精神修行のようなものだと思えて仕方ありません。(しかしながら、自分がそれを好んで行っているわけではありません!)

笑顔で波動砲を投げつける人のカルマの大きさったら!

道を進むのはなかなか手ごわいものです。しかし、ネガティブ・エネルギーの砲弾を投げつけてきた2名の方々を、それぞれに実際に目の前で見ていて勉強になったこともありました。会話をしている最中に、その人の身体の周りに出てくる波動の種類が変化するのをハッキリと見ました。それを見て相手が笑顔でも心の中で嫉妬しているのをハッキリと感じ取ったり、対抗心を燃やしているのが判ったりしました。何ていうか、相手の心も身体もスケスケ状態ですよね(汗)そして、ある時は会話の途中で突然相手の後ろ(または横?)から波動砲が飛んでくるのを、これまたハッキリと感じる事もありました。「あれっ!?彼女、いま私に向かって何か飛ばしたね。やだ、念かしら?」と心の中で思ったのですが、念とも言えるようなネガティブな妬みの波動でした。ある人は私に対して強烈な波動砲を2回投げつけて来ましたし、もうある人は継続的に何度も波動砲を投げつけて来ました。それも「すまし顔」や「笑顔」でですよ!どちらかと言うと、継続的に投げ続けて来た人の波動砲の方がまだ軽かったように思えます。しかし、どちらにしてもそのようなものを人に対して投げつけるというのは、とんでもない大きなカルマとなり、必ず投げた人のところへ戻って来ますのでご注意を。このようなカルマは間違っても幸福なものとしては戻って来ません。それとは真逆のものとして戻って来てその人をつらい状況に陥らせたりします。人々は何に対して執着をしたり、嫉妬したり、欲を出したりしているのでしょうか?それさえなければ、人に対して優しく親切に思いやりを持って接することが出来るはずなのに、何がそうさせてしまうのでしょうね。それはけして表面的なことではなく、心の奥深い部分に横たわっているものがそうさせているのだと思います。何にしても、心を見つめていくというのは消して無駄にはなりません。日々の生活、人生、魂の進化にとっても、大きな糧となることでしょう。

 

f:id:dolphinparty:20170223133045j:plain

嫉妬は必要ないものである!?

エネルギーを扱う世界では、ポジティブ過ぎるのも本当はあまり良くないのですが、ネガティブ過ぎるのは更におすすめできません。ネガティブさはほどほどであれば、問題回避が出来たり、修正すべきポイントをきちんと押さえる事が出来たり、熟考の機会を得る事が出来るという長所がありますが、強い感情を伴うネガティブさは、自分の心の中に1滴たりとも見当たらない状態にまで持っていく事を、本当はおすすめしたいくらいなのです。我が強まる原因のひとつでもある「嫉妬」という強いネガティブな感情。私はこれについて考えてみたわけですが「もしかして、嫉妬は本当に必要ないものなのかもしれない」と思いました。

誰かに嫉妬するのはお門違い!?

誰かのことを羨ましがり、それが高じて嫉妬となる。そこには色々な心理が見え隠れしているわけですが、これらの感情が出る時というのは、誰か他の人に、物事が上手く行く出来事が起きたり、何かラッキーなことが起きたり、またはその人の持っているものや置かれている環境に対して、自分の状態を比較してしまう事が原因となっているのではないでしょうか?しかし、この人生で与えられたものは人それぞれに異なり、良いものもそうでないものも、過去の産物あるいは学ぶべきテーマでもあると思うのです。「どうしてあの人には与えられていて、私には与えられていないのだろう?」これまでに、さまざまな状況においてこのように思った経験はないでしょうか?自分以外の他の人が持っているものやラッキーな出来事というのは、それまでにその人が積んできた「徳」とも言うべきものによって具現化されたものなのです。このように言ってしまうと宗教くさいと言われかねませんが、時空を超えて幾度の過去生から現在に至るまでに、善い行いや物事に対する努力を積み重ねて来た結果手にしたものなのです。ですので、手にしているものが人によって異なっていて当然ですし、他人が持っていて、自分が持っていないものがあったり、またはその逆のパターンも当然あり得るというわけです。今生、或いは過去生からのその人の行いによって積み上げられたものが、何らかの形となって自分に返ってくるということであれば、他人が持っているものを「いいなぁ~」と軽く思う程度ならまだしも、強く羨ましがったり、羨望が高じて嫉妬や妬みの心を持ってしまったり、さらにはその嫉妬心を相手に態度や言動などでぶつけてしまうのは「お門違い」ということになります。

良きものを運んできてくれる流れを創り出すには?

そして、羨望の目を向ける相手により近づきたいと願ったりして、その相手と同じものを手に入れるというのは、今回の人生の使命や流れが人それぞれに異なっているため難しい場合もあるでしょう。そのように自分の外にばかり目を向けるのではなく、自分がこの人生で与えられたものをよく見つめ、その価値を理解し、そこにエネルギーを与えるほうが、更に人生の時間がより良きものに変化していくと思われます。また、そのためには、自分の目の前の課題に日々コツコツと取り組んで行く事も重要です。その課題も人それぞれに異なりますが、人によっては単調な毎日で、日々のルーティンを行うのみ・・・とういこともあるかと思います。多くの人が、このようなルーティンや単調な日々を課題と受け取らないようですが、これは立派な課題だと思います。そこから、いかに多くのものを受け取ることが出来るでしょうか?また、日々のルーティンの中や、何気ない日常の中にこそ、ちょっとした徳を積むべきポイントというのが潜んでいたりするものです。食べ物や身の回りの物を大切にしたり、日々関わる人々に対して礼節・思いやりの心を持って接したり、その他にも色々な面で慎み深く丁寧に毎日の暮らしを営んでいれば、それも徳を積むことになり、次第にそのプラスのエネルギーが大きくなり、流れを作り出し、その流れが暮らしに更に良きものを運んで来てくれるでしょう。もちろん、何かのスキルについても同じことが言えます。淡々と、コツコツとでも、目の前の事に集中して取り組んで行くうちに、それがやがて大きな流れを成し、タイミングが来た時に望む場所へ連れて行ってくれたり、望むものを運んで来てくれるのです。それがこの人生で起きる場合と、そうではない場合(つまり次または別の人生にて)がありますが、今生でそれを手にすることが出来ないからと言って、諦めたり不貞腐れて「どうでもいい!」という態度になってしまっては勿体無いと思います。今からの積み重ねが別の人生で大輪の花を咲かせたり、かけがえのない宝物を手にすることになるのですからね。このようなことをちょっと考えてみると、他人が持っているものに嫉妬するなんて、本当に必要のないことであると気づくことが出来るかもしれません。みなさま是非、自分だけの花を咲かせ、自分だけの宝物を手にしてくださいませね。

 

 
今日もたくさんの応援を有難う御座います!
20170302214307
f:id:dolphinparty:20170829151702g:plain