その次の世界へ 魂の旅

魂の探求、霊性を高めること、スピリチュアル全般について綴っています。

人の数だけ主観とバイアス(偏見)があるってものだ

人の目を気にし過ぎる人_自分らしく表現する

元々、他人の目を気にし過ぎる人

ここに書くことはあくまでも個人的に思うことであって、もちろん断定することは出来ませんし、そのようなつもりで書いているわけではありませんのでご了承下さいませ。自分らしく生きるという事の中に、自分らしさを表現するというものがありますが、その表現の方法にも色々な方法があると思います。どの方法でも、自分が一番表現しやすい方法で表現していけば良いと思いますが、人によっては、他人の目が気になるという事もあるかもしれません。西洋占星術で様々な人々の出生時のデータを見ていると「どうしても人目を気にしてしまう性質がある」と、不調和としてのサインが出ている事があります。つまり、そのような人の場合「”人の目を気にし過ぎるという傾向を調整する” 課題がこの人生の中にありますよ。」ということなのです。もちろん、その真逆のサインが出ている人もいたりするので、そのような人の場合はまた別の対処が必要になると思います。今回は ”人の目を気にし過ぎる人” の場合についてちょっと考えてみたいと思います。

自己表現の抑え過ぎは人との繋がりを遠ざける?

人の目を気にし過ぎるということの中には「こんなことを言ったら周りの人に◯◯だと思われるかもしれない」または「こんな風に行動したら周りの人に◯◯だと思われるかもしれない」と思って表現を控えたり、思っていることを表現出来ずにいたり、自分を抑えていることから混乱してしまって、自分らしさとは程遠いような方法で表現してしまったりする、というような事がありますが、これらを積み重ねていくと次第に自分に嘘をつくことに繋がっていきますし、本来の自分がどんな人であるのか、何をどうしたいと思っているのか、ということが段々解らなくなってしまったりするかもしれません。これらの行為はある意味、自分を大切にしない行為のひとつとも言えるでしょう。本来の自分を表現していかないことには、周りの人々との繋がりもうわべだけのものになりますし、いつまで経っても繋がりは浅いままですし、絆が生まれる事もないでしょう。他者との繋がりや絆を深めたりすることは、人生においての大切なレッスンのひとつでもあると思います。また、人との深い繋がりや絆は長い時間を生きて行く上での糧となり、その人々が精神的に、または、物理的に自分の傍に存在していると思うだけでも、何かつらいことがあったとしても乗り超えて行く力が湧いてきますし、喜ばしいことがあったとしたら、その喜びを分かち合う事も可能なのです。

人それぞれに独自のバイアスがあるわけで・・・

他者と繋がる、分かち合うとは言っても、誰とでも繋がるということではありません。ある一部の側面ではそれも可能ですが、ここではその事については書きません。自分と感性の合う人とだけ深く繋がり、絆を強めて行くということがまずは大切なのではないかと思うのです。ところで、人の目を気にして自分を表現することを抑え過ぎたり、自分を抑えてまで人に良い顔をしてしまうということの裏には、人から良く見られたい、または、特定の「こう見られたい」という想いが隠れていたりする事があります。しかし、人というのはそれぞれの主観でものを見ますし、そこには勿論その人独自のバイアスがかかっているため、自分以外の人のことや物については勝手に好きなように言ったりします。中には言いたい放題の人もいたりするくらいですし、逆に相手のことを思い図って、思慮深く言葉を選びながら接する人のほうが案外少ないものです。好き勝手に自分の主観でポンポンものを言う人が悪いと言っているわけではありませんが、このことを少なからず考慮に入れると「自分を抑えてまで相手に合わせる」ということを、そのようせざるを得ない特別な時以外でも行っていることが無駄なことのように思えてきたりしませんか?ざっくり言うと「人って好き勝手言うものだ。だから人の目なんていちいち気にしていられない。」ということです。そしてまた「こんなことを言ったら周りの人に◯◯だと思われるかもしれない」というのも、そのように思う人のバイアスだったりするのです。西洋占星術的に言うと、そのようなバイアスがかかりやすい性質があるということなのです。そのように捉えやすい人の場合、人の目を気にしてしまう自分を理解しつつ(この場合、否定してはダメです。)人の目を気にしないようにしてみる、という試みを行ってみてはいかがでしょうか?

 
今日もたくさんの応援を有難う御座います!
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