その次の世界へ 魂の旅

魂の探求、普段は目に見えない世界のこと、スピリチュアル全般について綴っています。

お互いのためのソウルレッスン

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人間としての魂の学びの多くが終了している!?

先日、ご新規のお客様がいらっしゃった時に「ついにこの時が来たか・・・」と心の中でつぶやいてしまいました。何故なら発しているエネルギーが丸く柔らかく穏やかな感じだったからです。そして私は驚きました。ヒーリングなどを職業としていない人で、このようなエネルギーを発している人に初めてお会いしたからです。とは言っても、今までに1人しかお見かけしたことがありませんでした。以前からこのようなエネルギーの人と仲良くなりたいとは願っておりましたが、まさかお客様としていらっしゃるとは思いもしませんでした。何故なら、このようなエネルギーを発している人には悩みごとなんて無いと思っていたからです。案の定、そのお客様は何か悩みごとがあって私の所に来たわけではありませんでした。「物事に対してこだわりが何もなくて、どちらでも良いと思ってしまうのです。」と言っていましたが、そのようなスタンスでいると、時々周りの人々からネガティブな態度のように捉えられてしまう事があるそうです。このようなことはとても理解が難しい部分のひとつなのですが、人間としての学びの多くを終え、達観の領域に入ってしまった人というのは我や欲やこだわりがなくなってしまうのです。もちろん、そのような人でもテーマによっては他にまだ終えていない学びがある場合がありますので、すべての物事に対してこだわりが無いとは言い切れないのですが「世間の多くの人々がこだわるであろう部分」に対するこだわりは、既に消えている事が多いのではないかと思われます。そして、このような人というのは、ものごとの捉え方が他の大多数の人々とは異なっていると思いますし、そのために、人からなかなか理解してもらえない事も多いのではないでしょうか。

心の純度と波動に比例するもの

ところで「やりたいことがない」「やる気が起きない」というものの中には、満足しているからこそ、今はやりたいことがないという場合と、単に気力がなくてやる気が起きず、その結果やりたいと思えることがない、という場合があります。前者の場合は、ともすると流れに身を任せるということが出来る状態であり、後者の場合は我や欲、執着のエネルギーで行動するクセがついてしまい、それによってエネルギーバランスを崩してしまったゆえの気力低下や、エネルギー的に何らかの影響(憑依など)を受けている場合でしょう。そのどちらに該当するのかは、その人の波動を見れば判ります。また、人に何かされてもやり返さない人というのは、心に何も引っかかりがない場合が多く、だからこそ怒らずに受け流す事ができるのです。これは自己価値が低いということではなく、誰かに何かされたことについて「どうでも良いことだ」と思っていたりして、まさに「引っかかるようなものが何もない状態」であるといえるでしょう。それとは逆に、自分のことを価値が低いと思っている人の場合、誰かに何かされた場合「相手が自分のことを貶めようと思っている」という発想がついつい心に浮かんでしまい、相手の態度に対して引っかかってしまうことがあると思われます。これはとても難しい話なので、方程式のようにパターンで当てはめることは出来ないものです。そしてまた、心がピュアになればなるほど、波動が高くなればなるほど、色々なタイプの波動を放つ人々を惹きつけますので、穏やかな波動の人はもちろん寄って来ますが、時々、自分のことしか考えていないような波動の人も寄って来ます。そんな話を数年前にある人にお伝えしたところ、その方は「だったら自己を高めるなんて意味がない。」と言って、即座に「学び」とは真逆の方向へ突っ走って行かれた方がいらっしゃいました(汗)なんでも「私は波動の高い善良な人たちだけに囲まれて過ごしたかったのです。」とのことでしたが、なんとまあ自分の心に正直な人なのでしょう!と、私は半ば感心してしまいました(基本的に自分の心に正直なのは良いことです・笑)ただ、このような発想も我欲と執着に繋がってしまうようなものですし「心が恐怖に満ちた状態であるからこその発想」ともいえるのですけどね・・・。

何もかもを受け容れる必要は何処にもない

そして心の純度が増し、波動が高まった時に「自分のことしか考えていないような波動の人」が現れた場合、大抵は必要あって「嫌な思い」をするようです。また、波動が上がる度にこのような人が現れます。初期の段階では「嫌な思い」をすることで、相手に伝えなくてはならないことが出て来ますし、相手にハッキリ伝えるという経験をすることが必要なのだそうです。しかし、ただ単に相手に文句を言うのではなく、相手に気づきを促すように伝えることが重要です。それが指導者の使命を持っている人の場合は尚のことで、このような出来事自体が指導者と成っていくプロセスのひとつであり、そのようなステージの扉が開いたとも言えるかもしれません。ある段階へ到達するためには、その途中段階から「何もかもすべてを受け流していれば良い」というわけには行かなくなって来るようです。これもある種のレッスンですね。

 

 
今日もたくさんの応援を有難う御座います!
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